京都在住シングルファーザーおじさんのつれづれ雑記帳

京都在住おじさんによる匿名の日記です。ネットのすみっこでひっそりと生きています。ただいまシングルファーザーとして生きてます。備忘録ブログ

アマプラで映画視聴215「ボーはおそれている」(8.5)、親の業の深さがテーマの考察系

 

アマプラで映画視聴215作品目はアリ・アスター監督の「ボーはおそれている」でした。個人的レーティングは8.5/10です。3時間と長いのですが、スキップは使わせないって感じのマニアック芸術点が非常に高い映画、だらだら見ていると重要な部分も見逃してしまいます。そこはね、僕も年間80本はアマプラで映画みているのですぐにわかりました。監督はアリ・アスター、主演はホアキン・フェニックスです。

日常のささいなことでも不安になってしまう怖がりの男ボーは、つい先ほどまで電話で会話していた母が突然、怪死したことを知る。母のもとへ駆けつけようとアパートの玄関を出ると、そこはもう“いつもの日常”ではなかった。その後も奇妙で予想外な出来事が次々と起こり、現実なのか妄想なのかも分からないまま、ボーの里帰りはいつしか壮大な旅へと変貌していく。

はじめにいっておくと、だらだらとみると意味わからない映画です。映画好きのためのガッツリマニアックな考察系。そして随所にちりばめられる伏線に注目しながらみないと考察すらできません。主人公のボー(ホアキン・フェニックス)は、精神に問題をかかえており、カウンセリングを受け、薬を常用しています。なので視聴者にはどこまでが現実で、どこまでが主人公の頭の中の世界なのかもわかりません…。ここの考察と解釈が自在にできるところがこの映画の面白いところ。まさに100人いたら100通りの解釈になりそう。親としてゆがんだ愛情全開の母親が、世界的大企業の創業者という部分も、この解釈を自在にさせることにつながっており、そこもとても面白い。つまり、親は息子を管理してコントロールするために、普通の人ではできないことをなんでもできるし、実際にしているわけです。映画は、ボーの人生をボーの記憶の中で振り返りながら、母親の存在というものについて突き詰めて考察していき、最後は二人の関係性をつきつけるものです。僕も発達に課題を抱えている息子のシングルファーザーだからかな、逆にわかるのですが、この親の思いと子どもとのギャップからくる親の認識のゆがみというのは、おそらく日本ではケアを中心に担っている母親、もしくはシングルの家庭の親には一定のリアリティーのあるものです。これ、家族というものの業をテーマにしているアリ・アスター監督の哲学が全面にだされていると思います。それをこんな形で映像化、この人は天才の一人なのは間違いないです。まぁここまで極端な思いはほとんどの人はないんですが…。

さてネタバレかねて僕も考察しておくと…

僕は冒頭のボーが家をでるまでの、家の中の部分がむしろボーの夢想がかなりまじっているとみています。家の中と外で起こることが、母親のもとにかえりたくないボーが引き起こしている空想の映像がかなりまじっている可能性があるということです。その後、一見非現実的な冒険が続くわけですが、ここは実はリアルな部分が多いのではないでしょうか?最後母親の会社の管理下にある人たちがこのボーの冒険にかかわっていることが実は明かされているわけで、ボーを徹底監視している人たちだと考えると、非現実性だと思われる部分が実は現実という考察を僕はしています。そしてエンディング、ここは難しいですが、どこまでが現実でどこまでが非現実か?僕は最後は非現実で、親の監視とゆがんだ愛情から結局逃れられないボーの精神を描いたのかな?とも思います。どうでしょう?この映画をもし見た人がいればぜひ話し合いたいと思う映画のひとつでした。プロジェクターの一押しはこのネビュラの3ですね。そろそろ新しい機種でるみたい…