京都在住シングルファーザーおじさんのつれづれ雑記帳

京都在住おじさんによる匿名の日記です。ネットのすみっこでひっそりと生きています。ただいまシングルファーザーとして生きてます。備忘録ブログ

旅行で移動中に読んだ本「人間・始皇帝」(鶴間和幸)…法とは何か?を少し考えた。

旅行に移動はつきものなので…あわただしい中ですが飛行機や電車の中で本を一冊読みました。「人間・始皇帝」(鶴間和幸)です。2015年の本。

苛烈な暴君か,有能な君主か.可能な限り同時代の視点から人間・始皇帝の足跡をたどる画期的な一書.

ここ30年くらいの間に新資料が続々とでてきて中国の歴史の解明は急速にすすんでいます。新資料とは何か?といいますと、一つは新たな竹簡などの発見です。これがどんどんでてきています。史記のような長大な歴史書ではなく、個人の官僚のかいた日記や、官僚あての命令や通達、当時の統計資料の数字などの超リアル資料が例えば古い井戸の中とかから次々と発見されているわけです。もう一つは発掘調査です。こうして発見された膨大な新資料を歴史書と比較しながら現実を解き明かしていく。読んでいるとわくわくする本ですね。ところで興味を引く中身がありました。前漢初期の判例が秦の判例を参考にしていたという竹簡なのですが…「亡き夫の喪中の棺の前で別の男性と密通した女性の事件」が紹介されています。この女性が、親不孝を行ったら首を切り市場にさらす、という秦の法律で処罰すべきかどうか、官僚の間で大激論になります。まず夫は亡くなっているので別の男性と関係をもったことは無罪なのですが、その上で妻の行為は亡夫の父母にたいする親不孝に当たるのではないかということが焦点になる。論議の末に結局夫は亡くなっているので、処罰はなしとして、これが判例のように扱われています。2000年も以上前の秦という国の法律でも、それをどう解釈しどう現実の事例にあてはめるかを官僚たちが論議して、それが判例として積み重ねられていっている。秩序というのはこういう積み重ねによってしかつくられないような気もしてきました。法律ということの成り立ちについて思いを巡らせることができます。2000年前からこんな論議をしている中国という国はやはり大国だと思います。その頃、日本に法律という概念はあったのかな…おそらくなかったでしょうね…。興味のある方はぜひ!