Amazonプライムで三国志(THREE KINGDOMS)全95話をみました。いやぁ95話・・・真面目に長いですね。
このスケールに比べたら、大河ドラマなんか全然大河じゃねぇって感じすらする(笑)。
おりしも日本でも三国志が絶賛公開中、わりと流行っているみたいですね。
この三国志は、あまりにもパロディすぎるので・・・僕はみないけど、こういうのもいいんじゃないかと思います。興味を持つ人は増えるわけだし。
ところで、この三国志(THREE KINGDOMS)で一番魅力的にみえたのは僕には司馬懿仲達です。「三国志」
演じるのは、ニー・ダーホンさん。徹底して慎重、老獪な司馬懿を見事に演じ切っていて圧巻です。三国志演義をベースにすると、諸葛亮というのはすべてを見通す天才として描かれます。デスノートで言えばキラ的なところに位置する人というか、こうなったら、こうなって、こうなるでしょ、ってことをすべて予想して、ほぼすべてその予想が的中する人なんです。神の位置にいる天才だと思います。
ただ、これ現実的にはありえない話です。圧倒的多数の人の思惑が入り乱れる現実において、最初から圧倒的に全部を見通す戦略なんてものは存在しない。ちなみに現実の諸葛亮がとった兵法というのは奇襲や天才的軍略というより、徹底した正攻法です。むしろ奇策で突破しようとする魏延の策を認めなかったのが諸葛亮です。
で、天才に対する司馬懿がどう描かれるかというと、天才を前にして状況に応じて対応しながら、諸葛亮の攻めをひたすら耐えるという立場です。「状況に応じて対応する」「我慢する」ということをベースに司馬懿の秀才性が描かれます。このドラマの中で、孔明の作戦に勝てない司馬懿のセリフで僕がすきなセリフに「不変をもって、変化に対応する」と部下に言い放って籠城作戦にでるシーンがあります。実に見事な発言というか、刻一刻と変化する状況の中で、変化の予測対応できない、今は「不変」で対応するのだ、という判断をするというドラマのシーンなのですが、司馬懿というキャラの性格を実によく表していてとても好きです。お話の中でのことですが、リアルな天才が司馬懿であって、空想の天才が諸葛亮ではないか?と僕は思っています。
ちなみにこの三国志、終わりに近づけば近づくほどクオリティーがあがっていきます。これは、ちょっと信じられない、全95話の話が、最後になればなるほど面白くなっていくわけです。
ドラマの最後の最後に、司馬懿がクーデーターを起こして国家の全権力を事実上握るところで終わります。ここで終わり・・・そして最後の最後に司馬懿が回想するシーンはあのシーン、うーん、この計算しつくされた感。
あしたのジョーの「燃えつきた」シーン
にも勝るとも劣らないな。