安部元首相の「国葬」が問題になっているので、少し真面目に中立的に「国葬」について考えてみました。
前提として、そもそも国葬は、国費でまかなわれる葬儀です。戦後は内容を決める法律は不在で、慣例もありません。つまりどうやって、どんな「国葬」を行うかの取り決めがまったくないということです。
次に、法律も前例もない中で岸田首相が「国葬」を決めた理由ですが、これは岸田首相自身の発言によると①憲政史上最長の8年8カ月にわたり卓越したリーダーシップ(~中略~)、国のために重責を担った②国葬儀を執り行うことで、安倍元総理を追悼するとともに、我が国は暴力に屈せず、民主主義を断固として守り抜く決意、という2点が今回安倍首相の葬儀を「国葬」で行う理由のようです。
①の重責を担った、ですが、基本的にこれは国葬の理由にまったくなりえないと考えます。なぜなら重責を担ったかどうかというので言えば、首相であればなにがしか担っているのは当たり前です。卓越したリーダーシップ云々は人によって評価のわかれるところでしょう。もちろん例外的に国民の圧倒的多数が業績を認めている場合はありますが、安部元首相が誰もに認められている首相でないことは、これは調べる必要がなく明らかです。加えて言えば、それこそ「首相の業績」は亡くなってすぐ判断できるものではありません。
なので結局のところ②の「民主主義を守り抜く決意」ということが、法律も慣例も無視して「国葬」を行うか否かの基準になります。これについてですが…ここは冷静に論議する必要がある点ですが、報道を見る限りでは、今回行われた「テロ」は統一教会への恨みを拗らせた犯人の「私怨」であることがほぼ明らかになっています。ここは大事な点です。つまり例えばアメリカの9.11テロのような、民主主義への挑戦・挑発行為ではない可能性が大きいです。であれば、今の段階で②を理由にして「国葬」にすることは非常におかしい行為ということになります。これに加えて最近だされてきた俗論で、弔問外交を行うため、という岸田首相も述べていない新たな論点が巷で勝手に付け加えられてきました。これについては国葬をやろうとする側からも正式に述べているニュースをみたことがないので、そもそも論じること自体が馬鹿らしいと思います。加えて、そんなに国際的に卓越して個人的に支持されているリーダーなら、別に国葬にせずとも弔問に外国から首脳はやってきますし、弔問外交というのはたまたま首脳が集まることで生まれる何か偶然を期待する以上のことは最初からないので、国葬である必要はありません。これは論外の意見です(笑)。