京都在住シングルファーザーおじさんのつれづれ雑記帳

京都在住おじさんによる匿名の日記です。ネットのすみっこでひっそりと生きています。ただいまシングルファーザーとして生きてます。備忘録ブログ

アマプラで映画視聴179「ヒトラーのための虐殺会議」(8/10)、虐殺を支えるのは差別意識では?

アマプラで映画視聴179作品目は「ヒトラーのための虐殺会議」でした。個人的レーティングは8/10です。昨年公開の話題作の一つ。アマゾンプライムのいいところはこういう真面目な映画は1年待たないでみれるところですね。テレビではやらないと思うし…。まぁテレビはもってないんだけど。最近ブログのジャンル映画に変えた方がいいかもとも思うけど…でも変えない(笑)

本作のモチーフはアドルフ・アイヒマンによって作られた「ヴァンゼー会議」の議事録です。故に話の骨格は事実なわけです。ハイドリヒのもとすすめられた1100万人のユダヤ人絶滅計画は如何にして実行されたか、そのことを決める会議の議事録なわけです。

1942年1月20日正午、ドイツ・ベルリンのヴァンゼー湖畔にある大邸宅にて、ナチス親衛隊と各事務次官が国家保安部代表のラインハルト・ハイドリヒに招かれ、高官15人と秘書1名による会議が開かれた。議題は「ユダヤ人問題の最終的解決」について。「最終的解決」とはヨーロッパにおける1,100万ものユダヤ人を計画的に駆除する、つまり抹殺することを意味するコード名だった。(C) 2021 Constantin Television GmbH, ZDF

映画をみた識者の人は「悪の凡庸」というテーマでの論評が多かったですね。僕はそれ(悪の凡庸)以上に、誰も虐殺計画に異議を唱えないこの恐ろしい会議を成立させているのは差別意識、民族優位の意識ではないかと考えています。つまり最初からドイツ民族=正義、ユダヤ人=悪、という枠組みが前提として成立しているから、ユダヤ人には何をしてもいいというところにつながっているように思います。そういう目でこの映画を見たときに、現代日本に蔓延る、日本人=正義≒日本スゴイ(他国より)ってことの延長に虐殺がつながっているように考えています。悪の凡庸もそうなんかもしれないですが、実際にここまできてしまって、ハイドリヒの招集する会議に来るメンバーに、この会議でユダヤ人の人権を訴える人物がいないのは、もう必然でしょう。彼らはすでにユダヤ人を同じ人間と思ってないのだから。あるいはその建前を外した時に、むしろ殺されるのは自分なのはわかっている筈です。

 かつて日本人以外のアジア人へのむき出しの差別意識で日本は他国に侵略し、ナチスドイツと同じように(あるいは人数的にはそれ以上に)アジアの人々を大量虐殺していますからね。ほんの少しの違いがあるのは、日本以外のアジア人の完全抹殺ということを大日本帝国論議していないだけで、朝鮮半島や中国で現実にやったことは大日本帝国ナチスとの間にあまり差はないと思います。だから僕としてはこの映画を見ての教訓は悪の凡庸よりもむき出しの差別意識の恐ろしさというところに置きたい。過去に盲目な人間でいたくはないですし。